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やなせたかしさん死去 特攻隊に志願した弟への歌?妻の支え? [アニメ]

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「アンパンマン」の生みの親、そして「手のひらを太陽に」の作詞でも有名なやなせたかしさんが10月13日に心不全で亡くなりました。
享年94歳でした。


幅広い世代に勇気、愛、希望を伝えてきた偉大な方です。
ショックが大きいです。
毎年のように「亡くなった」とデマが流れていたので、
今回もデマだと願いましたが・・・真実だったようです。


多くの人に影響を与えたやなせたかしさん。
どんな人生を歩みアンパンマンが作られたのか調べてみました。

アンパンマンに込められた弟・戦争への思い



1988年に日本テレビ系で放送が始まった「それいけ!アンパンマン」

そのオープニングテーマとして有名な「アンパンマンのマーチ」は
やなせたかしさんご自身が作詞をされた歌です。
誰もが一度は聴いたことがあると思います。
多くの方が歌詞を見ないで歌えるのではないでしょうか。


さて、この歌ですがある有名な説があることはご存知ですか?
ご存知の方も多いと思いますが、「アンパンマンのマーチ」は
特攻隊に志願して22歳という若さで亡くなった弟さんへの思いが込められてるという説です。

歌詞を見ると

「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び  たとえ胸の傷が痛んでも  何の為に生まれて 何をして生きるのか  答えられないなんて そんなのは嫌だ!  今を生きることで 熱いこころ燃える  だから君は行くんだ微笑んで。  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び  たとえ胸の傷が痛んでも。  嗚呼アンパンマン優しい君は  行け!皆の夢守る為」
なじみ深い歌詞ですが、
よくよくみると歌いだしから意味深ですよね。
胸の傷・・・痛みを背負った悲哀のヒーローが想像できます。

また「今を生きることで 熱いこころ燃えるだから君は行くんだ微笑んで。」
の部分はまさにこれから死地に向かうであろう姿が想像できます。
やなせさんの弟は最後笑顔で旅立たれたのでしょうか・・・


インタビューでは
「自分はまったく傷つかないままで、正義を行うことは非常に難しい」とコメントされています。
アンパンマンと弟さんを重ねていたのでしょうか。
もともと大人向けの漫画だったことが頷けます。深いです。




やなせたかしさんの経験・思いが具現化し今のアンパンマンがあるのだと感じます。

妻の支え



アンパンマンが生まれるのに大きく関わったのは、
戦争・実弟の死という悲痛な経験だけではないようです。


それは妻・小松暢さんの存在でした。

やなせたかしさんが妻小松暢さんと出会ったのは
戦後、高知新聞で記者の仕事をしている時だったようで、
向かいに座っていた小松さんに一目惚れだったそうです。


小松暢さんはお付き合いしている当初から、やなせさんの才能を見抜き

「田舎にいては才能が埋もれる」と貧乏生活も厭わず
無理矢理やなせさんを上京させたようです。

その後、グラフィックデザイナーを経て漫画家として独立するのですが

やなせさんには収入が不安定なことにいつも不安を抱えていました。
しかし、妻・暢さんは「またいつでも下宿部屋に戻ったらええやないの」
献身的に心から支えていたようです。

そして、1973年の「あんぱんまん」を機に
1990年「アンパンマン」への成功へと繋がっていきます。

しかし1993年に、成功するもわずか三年で最愛の妻・小松暢さんは亡くなってしまいます・・・

やなせたかしさんのことを信じ、支え続けた妻・小松暢さん。
この献身的な支えがなければ今の「アンパンマン」はなかったのではないでしょうか。


調べてみて弟さんの存在も妻・小松暢さんの存在もなくてはならないものだったと分かりました。
多くの人に勇気とは何か?正義とは何か?を伝え続けてくれたやなせたかしさん。
今頃は天国でお二人と再会されていることでしょう。


それでは最後までありがとうございました。




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